2025/09/18
今回は、
卒業式の祝辞に「NGワード」はない。あるのは「その場にふさわしい言葉」と「ふさわしくない言葉」の区別だけ
というお話です。
この記事の要約:
- 「NGワード」など存在しない
- 大切なのは、常識的に考えて場にふさわしいかどうかの分別
- 単語そのものではなく、文脈によって意味は変わる
- 卒業式の祝辞は「チェックリスト」ではなく、心を込めたメッセージが何より重要
卒業式の祝辞の中で、使っちゃいけないNGワードがあるかのように伝える情報提供サイトを見ました。例えば、「落ちる」「滑る」「流れる」「取り消し」など。入学試験や進級といった場面を連想させて縁起が悪い、という理屈です。
言いたいことは分かります。ですが、これは無理やりすぎます。2006年以来、挨拶文作成を続けている当社の経験上、これは誤りです。
重要なのは「単語」ではなく「文脈」
単語そのものに注目するので、おかしくなるんですね。
「志望校合格が流れる」――こうした言い回しを卒業式で使うのは確かに不適切です。これは「NGワードだから」ではなく、社会通念上、場にそぐわない表現だからです。常識的に避けるのは当たり前のこと。要は、「わざわざ言いますか?そんなこと」です。
一方で、「時は流れる。誰に対しても平等に。大切なのは、その平等に与えられた時間をこれからどう使うかです」という言葉があったとしましょう。ここで使われる「流れる」は、むしろ深い意味を持った大切なメッセージです。これを「NGだから避けるべき」などと考えるのは本末転倒でしょう。
NGワードというものは存在しない
そもそも「NGワード」なるものは存在しません。あるのは「その場にふさわしい言葉」と「ふさわしくない言葉」の区別だけです。
ごくごく自然に考えて、相手を傷つけたり不快にさせるような言い方は避け、祝福や励ましにつながる表現を選べばそれで十分です。「この単語はアウト」「この単語はセーフ」といった機械的な発想に縛られる必要はまったくありません。
言葉を形式的に当てはめる無意味さ
本来、卒業式の祝辞は、卒業生の門出を祝い、これからの人生を応援するためのものです。そこに「言葉のチェックリスト」を持ち込んで、「この単語は使っていい・ダメ」と振り分けるのは、マナーの暴走に過ぎません。
言葉は単体で存在しているわけではなく、必ず文脈の中で意味を帯びます。大事なのは「言葉そのもの」ではなく「どういう意図で、どんな流れの中で伝えられるか」です。
卒業生にとって心に残るのは語り手の誠意や願いであって、形式的に使い分けられた言葉ではありません。
ということですね。