2025/09/18
もうすぐ卒業式。PTA会長として祝辞を任されたあなたは、きっと今インターネットで「卒業式 祝辞 例文 感動 泣ける」と検索しているはずです。
それはとても自然な行動です。大勢の前で話すのは緊張するし、「せっかくなら感動してもらいたい」「できれば泣けるくらいの言葉を」と思うのも当然でしょう。
でもね、ここでちょっと厳しいことを言います。
「感動で泣ける例文」なんて、この世には存在しません。
感動するのは「あなた」だ
考えてみてください。もしネットで見つけた文章を読んで「泣ける」と思ったとしたら、それは文章自体が特別なのではありません。
感動したのは、他ならぬあなた自身の心です。
つまり、「感動で泣ける例文」というものがあるのではなく、あなたの頭と心の中にあるものが反応しただけなんです。
「泣ける例文」が見つかる理由
それでも「これだ!」と思える例文に出会うことはあるかもしれません。
けれどそれは、その文章が奇跡的に完璧だからではなく、あなたの中に眠っていた思いに近いからです。
だからこそ、そのときやるべきことは、その例文を丸写しすることではありません。
ヒントにしながら、自分の心の中にある言葉を外に出すこと。
卒業式当日、祝辞で語るべきは、まさにそれです。
「頭の中に何もない」場合
一方で、もしあなたの頭の中に本当に何もなかったら…。
どんなにネットを探しても、感動で泣ける例文なんて絶対に見つかりません。
もし「これだ」と思えたものがあっても、それはただの上っ面。
それを機械的に当日の祝辞に盛り込んで話しても、卒業生たちには決して響きません。
なぜなら、話し手であるあなた自身がその言葉を大切にしていないから。心にピンと来ていないからです。
例文は「参考の参考のまた参考」
結局のところ、例文というのは便利ですが、それ自体が答えではありません。
あくまで「自分の言葉を作るための参考の参考の、さらに参考」レベルにすぎないのです。
卒業生に響くのは、整った文章ではなく、あなたの実感や思いを込めた言葉。
それがたとえ少し拙くても、感動を呼ぶのはそこに「あなたがいる」からです。
卒業式に向けて、例文を探すのは悪いことではありません。
でも最終的に祝辞を形づくるのは、あなた自身の中にある思いです。
感動で泣ける例文は、ネットのどこにもありません。あるのは、あなたの心の中だけです。