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共有経験がズレると比喩は「内輪ネタ」に見える

time 2025/12/30

第1回「祝辞の比喩は滑る。──3つのズレで原因を切り分ける」へ戻る

「あの比喩、よくわからなかった」

式典後にそう言われたら、かなりショックですよね。でも、その原因は「センスがない」からではありません。共有経験の設計ミスです。

第2回では、比喩が滑る原因の1つ目「共有経験のズレ」を掘り下げます。

共有経験とは「体験の重なり」のこと

共有経験とは、知識ではなく「体験の重なり」を指します。

たとえば「マラソン」という言葉。走ったことがある人と、テレビで見たことしかない人と、そもそもマラソンに興味がない人では、この言葉から喚起されるイメージがまったく違います。

辞書的な意味は同じでも、その言葉に紐づく感情や記憶の密度が異なるのです。比喩は、この「体験の重なり」を利用して意味を伝えます。重なりがなければ、比喩は空転します。

聴衆は一枚岩ではない

祝辞を聞いている人たちを、層で分けて見てみましょう。

児童生徒──当事者です。しかし学年によって経験も理解力も違います。小1と小6では、ほぼ別の生き物です。

保護者──初めての卒業式の親と、上の子で経験済みの親がいます。子育てステージも違います。

教職員──学校文化の内側にいます。保護者や生徒とは見えている景色が違います。

来賓──学校との関わりが最も薄い層です。内輪の文脈を共有していません。

比喩を使うとき、「誰の当たり前」を前提にしているかを意識する必要があります。ある層には当然でも、別の層には意味不明ということが起こります。

共有のズレが起きる典型パターン

共有経験がズレるパターンは、概ね以下の4つに整理できます。

世代ギャップ──昭和のテレビ番組、平成のヒット曲、令和のSNS文化。世代が違えば参照先が違います。「巨人の星」を出しても、今の小学生には通じません。

地域・学校文化ギャップ──その学校独自の行事、地域特有の風習。転校生や新任の先生には共有されていません。

趣味・メディア参照ギャップ──野球、サッカー、ゲーム、アニメ。趣味が違えば比喩の素材が通じません。「ホームランを打つ」という表現は、野球に興味がない層には刺さりません。

経験差──部活動、受験、子育て。経験の有無で比喩の受け取り方が変わります。受験をしていない生徒に「受験戦争」と言っても実感がありません。

「届く確率」を上げる設計法

全員が共有する経験を探すのは難しいです。でも、いくつかの設計方針で「届く確率」を上げることはできます。

全員が触れている経験に寄せる──季節、天候、学校行事(入学式、運動会など)。これらは学校にいる全員が経験しています。安全な素材です。

知らない人がいても「損しない形」にする──比喩がわからなくても、本題の理解に支障がない構造にします。比喩は補助輪であり、本体ではありません。

比喩の素材自体を説明しない──説明が必要な比喩は、祝辞には向きません。「○○というのは△△のことなのですが」という前置きが必要な時点で、その比喩は諦めましょう。

共有地図チェック

比喩を入れる前に、以下を確認してください。

  • 知らない人が「恥をかく」構造になっていないか?(周囲が笑っているのに自分だけわからない状況を作っていないか)
  • 知らない人が「置いていかれるだけで済む」か?(わからなくても聞き流せる程度の軽さがあるか)
  • その経験がない人、あるいはその経験で傷ついた人がいないか?

特に3つ目は見落としがちです。「みんな知ってるでしょ」という前提が、誰かを排除していることがあります。

この回のまとめ

共有経験がズレているとき、比喩は「内輪ネタ」に見えます。内輪ネタは、外れた人に疎外感を与えます。

祝辞は公の場です。特定の層だけに届く比喩は、届かない層にとっては「自分は対象外だ」というメッセージになりかねません。

共有がズレるなら、比喩の価値は下がる。むしろ比喩を使わない方が安全な場合も多いのです。

次回は「抽象度のズレ」を扱います。

第3回「抽象度がズレると比喩は「ふわふわ」か「ピンと来ない」になる」へ

   

この記事の著者

ニーバーオフィス

2006年以来、長きにわたり祝辞・挨拶原稿の代筆を行っている会社の代表者です。このサイトではPTA会長の祝辞・挨拶について、多くのPTA会長のご助力をしてきた経験からアドバイスをしています。