2025/09/18
第1回「祝辞の比喩は滑る。──3つのズレで原因を切り分ける」へ戻る
「あの比喩、よくわからなかった」
式典後にそう言われたら、かなりショックですよね。でも、その原因は「センスがない」からではありません。共有経験の設計ミスです。
第2回では、比喩が滑る原因の1つ目「共有経験のズレ」を掘り下げます。
共有経験とは「体験の重なり」のこと
共有経験とは、知識ではなく「体験の重なり」を指します。
たとえば「マラソン」という言葉。走ったことがある人と、テレビで見たことしかない人と、そもそもマラソンに興味がない人では、この言葉から喚起されるイメージがまったく違います。
辞書的な意味は同じでも、その言葉に紐づく感情や記憶の密度が異なるのです。比喩は、この「体験の重なり」を利用して意味を伝えます。重なりがなければ、比喩は空転します。
聴衆は一枚岩ではない
祝辞を聞いている人たちを、層で分けて見てみましょう。
児童生徒──当事者です。しかし学年によって経験も理解力も違います。小1と小6では、ほぼ別の生き物です。
保護者──初めての卒業式の親と、上の子で経験済みの親がいます。子育てステージも違います。
教職員──学校文化の内側にいます。保護者や生徒とは見えている景色が違います。
来賓──学校との関わりが最も薄い層です。内輪の文脈を共有していません。
比喩を使うとき、「誰の当たり前」を前提にしているかを意識する必要があります。ある層には当然でも、別の層には意味不明ということが起こります。
共有のズレが起きる典型パターン
共有経験がズレるパターンは、概ね以下の4つに整理できます。
世代ギャップ──昭和のテレビ番組、平成のヒット曲、令和のSNS文化。世代が違えば参照先が違います。「巨人の星」を出しても、今の小学生には通じません。
地域・学校文化ギャップ──その学校独自の行事、地域特有の風習。転校生や新任の先生には共有されていません。
趣味・メディア参照ギャップ──野球、サッカー、ゲーム、アニメ。趣味が違えば比喩の素材が通じません。「ホームランを打つ」という表現は、野球に興味がない層には刺さりません。
経験差──部活動、受験、子育て。経験の有無で比喩の受け取り方が変わります。受験をしていない生徒に「受験戦争」と言っても実感がありません。
「届く確率」を上げる設計法
全員が共有する経験を探すのは難しいです。でも、いくつかの設計方針で「届く確率」を上げることはできます。
全員が触れている経験に寄せる──季節、天候、学校行事(入学式、運動会など)。これらは学校にいる全員が経験しています。安全な素材です。
知らない人がいても「損しない形」にする──比喩がわからなくても、本題の理解に支障がない構造にします。比喩は補助輪であり、本体ではありません。
比喩の素材自体を説明しない──説明が必要な比喩は、祝辞には向きません。「○○というのは△△のことなのですが」という前置きが必要な時点で、その比喩は諦めましょう。
共有地図チェック
比喩を入れる前に、以下を確認してください。
- 知らない人が「恥をかく」構造になっていないか?(周囲が笑っているのに自分だけわからない状況を作っていないか)
- 知らない人が「置いていかれるだけで済む」か?(わからなくても聞き流せる程度の軽さがあるか)
- その経験がない人、あるいはその経験で傷ついた人がいないか?
特に3つ目は見落としがちです。「みんな知ってるでしょ」という前提が、誰かを排除していることがあります。
この回のまとめ
共有経験がズレているとき、比喩は「内輪ネタ」に見えます。内輪ネタは、外れた人に疎外感を与えます。
祝辞は公の場です。特定の層だけに届く比喩は、届かない層にとっては「自分は対象外だ」というメッセージになりかねません。
共有がズレるなら、比喩の価値は下がる。むしろ比喩を使わない方が安全な場合も多いのです。
次回は「抽象度のズレ」を扱います。
