2025/09/18
例文をアップしました。
高校 卒業式でのPTA会長 祝辞 例文(「こうあるべき」より「こうありたい」を大切に)
「こうありたい」にはエネルギーが要る
「こうありたい」を貫くというのは、言葉にすると美しく聞こえますが、実際にはとてもエネルギーの要ることです。
社会の中にいれば、「こうあるべき」が便利で安全です。あとは、いいか悪いかは別にして、楽ですね。多くの人が同じ方向を向いていれば、摩擦も疑問も少なく、周囲から認められることも多いですからね。けれど、「こうありたい」と自分の声に従うというのは、その流れから半歩でも外れること。つまり、自分で考え、自分で選び、自分で責任を取る覚悟が必要になります。
そのエネルギーの源は、「自分を大切に思う気持ち」と「自分の人生を信じる力」だと思います。誰かに認めてもらうためではなく、「自分が納得できる人生を生きたい」と心の底から願うとき、人は不思議と強くなれる。それが、「こうありたい」という想いの本当の力なのです。
何かを足すことも、何かを引くことも必要
それと、より現実的には、「自分のありたい姿」を選ぶということは、何かを“足す”だけでなく、何かを“手放す”ことでもあります。
これまでの環境、人間関係、習慣、安心感──それらを少しずつ置いていく痛みを引き受けながらも、自分の信じる道を歩む。その覚悟こそ、本当の意味での成長なのだと思います。
人が変わるとき、必ず「別れ」と「再出発」は同時に訪れます。それは寂しさを伴うけれど、同時に“新しい自分”が芽を出す瞬間でもある。だからこそ、手放すことは失うことではなく、「次に進むための選択」なのです。
これらを踏まえて、以下の文章などいいですね。
「そしてその道を歩もうとするとき、きっと何かを手放す瞬間が訪れます。これまでの場所や人、慣れ親しんだ安心を手放すこともあるでしょう。けれど、それは失うことではなく、新しい自分を迎えるための大切な通過点です。」
何より、強さが必要
「こうありたい」を貫くには、何より強さが必要です。
けれど、その「強さ」とは、誰かを押しのけるような力ではありません。自分の心の声を、最後まで裏切らない強さのことです。
誰かの期待を背負うほうが、実はずっと楽なときもあります。でも、自分の「こうありたい」を選ぶということは、誰にも責任を押しつけず、自分で選び、自分で引き受けるということ。そこには孤独も不安も伴います。それでも前に進もうとする姿は、本当に美しいものです。
だから、「こうありたい」を貫くために必要なのは、“闘う強さ”ではなく、“信じる強さ”。自分を信じ、自分の選んだ道を信じ、そしてまた人を信じる強さ。それこそが、これから社会に出る若い人たちに贈りたい、最も静かで、最も本物の強さだと思います。
と、大真面目に言うとこういうところですが、卒業式の祝辞では、そこまで言葉にするのは現実的ではありません。長すぎ&重すぎになりますからね。だから、みなまで言わず、余白を残して伝えるのがいいと思います。
